運動会

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    先月、ちょっと前の話だけど 息子の運動会に行ってきた。

    保育園の運動会だ。子供達の何でもない遊戯にすっかり癒されてきた。 自分の子供だけでない、みんなが可愛いものだ。

    母親達はそんなわが子の姿を、携帯やカメラに収めようと必死だ。

    私もご他聞に漏れずそうしたけれど、とてもカメラに収まるようなものではない。


    保育園の送り迎えを、私もたまにはやるのだが、

    そんななかでも、他の子供達はあっ、○○くんのパパだ、とか言って 私のことを覚えてくれる。
    そうすると私もおはよーとか言って、保育園に行くのも楽しくなる。

    だんだんと他の子供のパーソナリティが少しでも見えてくると、 面白いものですね、


    そして、ご くたまにではあるが、お父さんお母さんたちと話すのも 面白い。

    実にいろんなお父さんお母さんがいるからだ。


    先日も運動会明けの(子供達お母さん達 大勢も一緒の)飲み会で、 つい音楽をやっている事を話してしまったら、

    今は会社勤めだけど、

    20代の頃はバンド組んでいてアメリカでちょっと したツアーをしたよと言うお父さんがいてひっくり返った。


    ちょっと変わってる

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      私がまだ20代の前半ぐらいの頃、 まだソウルミュージックが自分にとって一番だったころ 何かのリハーサルに参加していたのだが、 それはあるソウル系のバンドのリハーサルだった。
      私はまだギターも、ボーカルもほとんどまともに 出来なかったので、 確かタンバリンを手にしていたように思う。20代前半だった私はまだまだ発展途上だったのだ。

      私は正規メンバーではなかったけれども、そのリハーサルに参加したいという欲望は替えられなかった。

      その友だちのキーボードプレイヤーが ちょっと間違ったフレーズを弾いたとき、 バンマスだった年長のボーカリストが言った、 なんだ?それはハービー・ハンコックか?…

      私は、その頃ハービー・ハンコックの名前くらいは知っていたが、どんな演奏をするのかは ほとんど知らなかったので
      その時は周りに合わせて、ハハハと、ただ苦笑い するしかなかった。


      その後数年後に、猛烈にジャズを聴くようになり、ビパップから入った私は、

      最初のうちハービーの良さは分からす、難しかったが
      だんだんと理解できるようなり、やがて大好きな尊敬するピアニストになった。
      件のバンマスも、その頃の私と同じように、ハンコックのピアノをきちんと捉えることが出来ず、
      ただちょっと変わった難解なプレイヤーという印象から抜けきれなかったのだろう。

      でもその気持ちは分かるし、私もあのままR&B的な文脈に留まっていたら、やはり理解できないままだったろうと思う。
      でもそのちょっと変というか、ちょっと違ったという所から、 じゃあ何が人と違うのかとか、いろいろ考えだすあたりから

      理解という物がはじまると思えば これほど面白いものはないと思う。

      "ボーン インザ USA"の夏

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        私の父(2013年に死去した)はかつては国営だった電話会社に
        30年ほど勤めていた。

        父が40代半ばのころ、その会社は民営化して、一私企業となった。

        その頃の会社といえば転勤が多くて、しょっちゅう引越しばかりさせられていたものだった


        、私など小学校が何度も変わったか、今思い出してみても4回は変わっているのではないか。

        全く、このことは私の人生観にかなり大きな影響を与えているだろう。

        1984年、私たち家族は宮崎県内の北部の小さな街にいた。


        音楽の世界ではMTVが登場して、ティーンエイジャーの私をとても強く刺激した。





        小学校の高学年で音楽に興味を持ち出して、オフコースの切ないメロディーに
        琴線をくすぐられていた少年の心は、
        ブラウン管からダイレクトのあふれてくるもっとスケールの大きな海外の音楽
        に心を奪われて来ていたのだった。

        マイケル ジャクソン、プリンス、マドンナ、ホール&オーツ.....ETC
        私は毎日のように必死にFMラジオを聴き、

        週に一度くらいのミュージックビデオを拝見できる洋楽の番組を決して見逃さないようにチェックしていた。

        まだユーチューブもアイチューンもない時代では、
        海外の音楽を積極的に聴くにはそのように噛り付くようにラジオを聴くか、
        お金を出してレコードを購入する(レンタルもあった)するしかなかったのだ。

        そんなある日、父の会社の休憩室、というか食堂にちょっとしたレコードコレクション
        を見つけた。

        私をはじめ社宅の小学6年生の子供達は、その休憩室で父の同僚から初級の英語を
        朝から教わったりしていたので、比較的自由にそこに出入りすることができた。

        大きなテレビもあったそこには、レコードプレイヤーとカセットテープレコーダーも
        あった。そしてちょっとしたレコードコレクションも...

        そのコレクションのなかに、私はブルース スプリングスティーンのアルバム
        "ボーン インザ USA”を見つけた。

        あの、星条旗とブルージーンズのジャケットだ。

        ほかのレコードは、もちろん松田聖子とかチェッカーズもあったし、他の洋楽の
        レコードはマイケルもきっとあっただろう。

        きっと社内のOL達が
        会社の経費でそれらのレコードを購入して、みんなでカセットテープにダビングしていたのだろう。


        そのようにして、私は"ボーン インザ USA”の全曲が入ったカセットテープを
        手にすることが出来たのだった。

        終わり

        ブルーズのある風景

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          最近、ブルーズをよく聞くようになりました。
          まあ、もともとローリングストーンズが十代のころから好きだったし、

          それからやがてBBキングや、ロバートジョンソンをはじめとする偉大なブルーズの
          偉人達にしばらく夢中になっていた時期がありました。

          それから20代に入るとやがてジャズが大好きになり、
          その延長線上でやがてブラジル音楽に夢中になり、

          これまで自分で日本語ボサノバのCDを制作
          してきましたし、きっとこれからも演奏しつづける事だろうと思います。

          ブラジル音楽のもつ高次元的ないハーモニーの要素と、すばらしいリズム感覚は
          いまでも私にとっては大きな憧れであるし、これからも追求していきたいと
          思います。


          そうした時期、しばらくブルーズから遠ざかっていた時期でもありました。


          ロバートジョンソンをはじめとする
          カントリーブルーズが、総ての音楽表現に勝ると考え、
          かなり真剣にカントリーブルーズの奏法を(自分なりに)
          学んでいた20代前半のころ、よく福岡市の箱崎にあった旧九州大の練習スタジオで
          夜通しでギターを抱えて歌っていたものだった。


          その経験は、ギターを弾いて物語のように歌を歌うという基本の力を
          私のなかに根付かせてくれました。


          そうして取り組んだ(カントリー)ブルーズでしたが、
          やがて自分の表現力にも、(カントリー)ブルーズという音楽表現自体にも
          限界のようなものを感じ、

          もっとたくさんの音を自由に扱えるジャズ的な方向に、20代後半は
          興味が向かったのでした。
          まあ今から考えれば自然な流れだったかもしれません。


          それがここにきて私が40代になった頃からか、

          同じブルーズと言ってもカントリーブルーズとは違う、
          戦後に隆盛したマディ ウオーターズらによる初期エレキトリックブルーズである
          ”シカゴブルーズ”が(以前はそれほど熱中しなかった)
          俄然頭の中に入ってくるようになったのです。


          マイルズの自伝を読んでいると、興味深いこのような記述があります。

          ”シカゴにいる限りマディ ウオーターズのライブを聴きに行っていた。
          あのコードが3つしかない(2種類しかないだったか?)音楽をだ。

          いまやっている事が複雑なものになってきていて、いつかは戻らなければ
          ならないと考えていたからだ。”

          私自身この流れがどこに行き着つくのかはわかりませんが、旅を続けていきたいと
          思います。










          このごろの息子のこと

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            息子もはや2歳と半年になりました。
            いろんな意味で成長著しいです。

            子供の成長ぶりを、ここで随時書きたいと思ってきたのですが、
            なかなか思うように手間が取れずに滞ってしまいます。


            2歳も半ばになってくると、もう幼児というよりは子供らしくなってきます。

            ああ、もうほんとに幼い時期はいつの間にか終わったのだなあ
            と少し寂しささえ覚えます。

            子供はここ(品川区)では保育園に落ちてしまい(何度も落ちまくってしまい。。笑)
            いまは認可外の幼児教育教室に週一回ほど行かせています。

            といった感じで、妻とふたりで過ごすことが比較的多いのですが、たまにしか行かない
            教室でも嫌がらずに行っています。

            遊び盛りの息子は、外へ出て行くことも大好きなので、晴れていれば近所の小さな公園へ日に一度は連れて行くのですが

            公園で遊ばせていても、周りに同じくらいの友達がいたら知らない子でも一緒に遊ぼうとするし、
            また ぜんぜん違う保育園の子供達のパーティーがいてもお構いなしに一緒にまじわって遊ぼうとします。

            この写真はその時のもの、一通り遊び終わって休憩時に一人だけ帽子なしでペットボトルのお水を飲んでいます。(笑)

            前の男の子がちょっと不思議そうに見てます




            子供って面白いですね〜









            奄美大島へ

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              奄美大島の旅 その一

              熊本の祖母の事が気にかかりますが、
              妻の両親のふるさとである奄美大島に、墓参りを兼ねて行ってきました。

              4月の半ばで、島は季節はこれからだんだんと夏に向かって
              暑くなろうという頃でしょうか、



              日差しはそれほど強くなく、お天気にも恵まれて美しいビーチを歩いたり
              シマ料理を堪能したり、南国の野鳥や木々を眺めたり

              そしてシマ唄をバックに黒糖焼酎を頂いたりしました。


              私は島を訪れる度に、とても盛んな島の音楽に触れる事が
              とても楽しみなのですが、(奄美大島では、子供たちも上手にシマ唄を歌います)

              島に来たら必ず訪れる
              名瀬にあるセントラル楽器で、地元で録音されるシマ唄や若い人たちの
              演奏する音楽を薦めて頂きましたが、やはりシマ唄の第一人者の坪山 豊さん
              のCDを購入しました。



              そのあと三線や太鼓を手作りしているすばらしい工房の福盛堂さんの店先を
              覗いて、この太鼓はいくらですか?三線は高いですね?などと生意気な事を
              言っていたら、

              「あんた三線やりたいとね?」と店主の盛さんと、シマ唄演者の方に
              お声を掛けていただきました。
              お話を伺っていると、シマ唄について教えてもらい、
              実際に三線を持たせていただき、しばし手ほどきも受けました

              そしてとても達者なシマ唄をご披露して頂ました。

              聞けば前出のシマ唄第一人者、坪山 豊さんの数あるお弟子さんのひとりの方でした。
              お名前はきかせて貰えませんでしたが今はシマ唄の講師をされているとの事
              、とても素敵な三線と唄でした。

              数あるシマ唄奏者の中でも、坪山さんは聴いていて飽きる事がない、自分もそうした表現に
              少しでも近づきたいと仰っていた事がとても印象的でした。


              現在80歳を越える坪山さんですが、昨年脳梗塞を起こして現在療養中との事、
              ファンとして一日も早いご回復をお祈りしたいと思います。


              坪山さんの作品は、前出のセントラル楽器が収録したものが、私の知っている限り
              4枚あります。どれもとてもすばらしいです。

              坪山さんは伝統的なシマ唄の演者でありながら、
              、エレキギターやアフリカンパーカッションのコラボを進めたりと、
              新しいシマ唄を創造し、次の世代へ受けついでいこうとする気概を感じます。

              もともと一般的に奄美のシマ唄は、沖縄民謡と比べてもブルージーで、
              哀愁に満ちたものですので、
              私にはブルースやR&Bとても近いと思っているのですが、

              坪山さんはそうした本来のシマ唄の表現を極めつつ、
              琉球のリズムや音階も一部取り入れ、
              本人曰く「百年先へ唄い継ぐ」シマ唄の幅広い表現を行っているところに特徴があると思います。










              Jimi Hendrixの4枚目のスタジオアルバム

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                季節はいよいよ春ですが、それとは関係なく最近はまっています。そうジミ ヘンドリックスの音楽です。
                生前ジミは、公式にはスタジオ録音を3枚とライブ録音を一枚発表したのち、
                4枚目となるスタジオアルバムを制作中の1970年に亡くなってしまいました。

                その後たくさんの未発見録音やライブ録音が発掘されて、やがては生前出たものの倍以上のアルバムが市場に出回りました。
                やがて遺族が音源を管理するようになり、1997年に、彼が亡くなるまで4枚目のスタジオアルバムとして構想していた作品が、当時からジミと一緒に仕事していた有名なスタジオエンジニアのエディ クレマーらの手により編集されて世に出ました。

                First Rays of the New Rising Sun

                という作品がそれです。タイトルも彼の生前のメモから来ているようです。
                 
                本来はこうした未発見物は、アーティストの意向とは言えない部分があり、
                少し眉に唾つけて鑑賞しなければと私は思いますが、アーティストが多作家で音源をたくさん残していれば、マイケル ジャクソンなどと同様に
                かなりのセールスが見込めることから
                、たくさんリリースされる事になり、おそらく誰にも止める事はできないでしょう。
                私がジミの音楽にハマりだしたのは、高校生の頃ぐらいからだったと思います。
                大学生の頃は、先輩のギタリストの中にひとり、トリオでジミの曲を半分はギャグ的に
                真似をして演奏する方がいて、
                当時の私にはとても無理でしたが、

                やろうと思えばやれるんだなと思って、自分なりに彼の演奏を通してジミに親しみ、

                またギタートリオでの演奏の仕方なんかを学ばせていただいたように思います。
                まだ20代の頃は、ジミの音楽にハマりつつも、どこか難解な気もしてもうひとつ
                理解できない面も感じていましたが、時を経るにつれ、

                彼の途方もないインプロビゼーションや、作曲の見事さに、あらためて素晴らしさを感じています。
                前出のアルバムですが、First Rays of the New Rising Sunこれを聴いてみて、
                依然私が聴いていたテープに聞き覚えのある曲がたくさんありましたので、

                調べてみると70年にジミが亡くなったあと数ヶ月後に出された Cry of Love という作品に
                すでに多く納められていたものだと分かりました。
                いつの間にかそのテープは無くなっていて、
                今回何十年ぶりに聴き返した事になる訳ですが、録音もマスタリングも素晴らしくて音が良いので、
                ジミのギタープレイや作曲にに改めて焦点が当てられていて、
                聴く価値が大いにあると思います。

                ひさびさにいっしょ

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                  先日、テナーサックス奏者の清水賢二さんと横浜の”しえりる”
                  で演奏してきました。

                  1年以上ぶりの共演だったと 思います。

                  (近藤コンディさまの写真から拝借させて頂きました)

                  清水さんとは、かれこれ10年以上前、

                  私が福岡で演奏を始めた頃から、ジャズのセッションでご一緒したり、
                  私のリーダーライブでボサノヴァの伴奏をやって頂いたり、

                  いつも共演がとても楽しみな、素晴らしいミュージシャンです。

                  私のファーストアルバム”あおさぎ”でも参加して頂き、
                  私にとって大切な、フェイバリットな共演の記録として残されています。


                  今回は、もともとデュオでの演奏の予定だったのですが、

                  遊びに来ていただいた素晴らしいミュージシャン達との
                  共演となりました。

                  ドラムのなりしげ ひろしさんと、横浜のベーシスト、コンディさんです。
                  素晴らしい共演者に囲まれて久しぶりにドキドキ!興奮しました。

                  あらためてアコースティックジャズの可能性に気づかされました。

                  またぜひやりたいです。


                  さて、今回は清水さんの新しいアルバムを紹介させてください。

                  もう何枚目になるのでしょう、5枚以上はあるはず。
                  音を通して自分を表現しつづける〜表現者としてとても意欲的な姿勢に
                  あたまが下がります。

                  タイトルは”ジャパニーズスタンダーズ”



                  とても面白い企画で、曲はなんとすべて、日本のテレビを通してお茶の間に広まり

                  昭和、平成を通して我々の身体にしみこんだあまりに有名すぎる
                  ポピュラー曲ばかりです。

                  一曲目から、水戸黄門のテーマです(^^; そうあの”じーんせい楽ありゃ♪
                  です。これがジャズになってます。すごいですね!

                  笑っていいとも!のテーマもあります。およげたいやきくんも..


                  あたらしいところでは、AKBや、宇多田ヒカルさんの曲もあります。

                  渋いとか、玄人ごのみの仕事ではありません。
                  しかし、清水さんはこれらのポピュラーソングたちを
                  あくまでジャズとして曲を扱い、すこしひねりを加えて料理して、ちょっとの
                  ユーモアを持って、長年慣れ親しんだ仲間たちと演奏しています。

                  決して奇をてらっている訳ではないようです。

                  原曲からずいぶん離れてるなあ とか、これがあの曲なのか
                  そういうことでもなく、
                  誰が聴いてもすぐにあの曲だと判るようになっています。

                  しかしジャズにしか聴こえないという、まあ絶妙の距離感とでもいいましょうか?
                  ぜひ皆さんに聴いて頂きたいです。

                  こんな風に何気なく、さらりと表現してみたいものです。


                  ご自身がパイロット版をアップしていたので、リンクしておきます。
                  Amazonでも買えるようなので、ぜひ買ってきいてみてください。
                  https://www.youtube.com/watch?v=7DKCmjG25aI








































                   
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                  ビリージョエルの孤独

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                    BILLY JOEL”52nd STREET"

                    1978年のビリージョエルによる傑作アルバム。

                    このところ このアルバムをアナログでとてもよく聴いている。


                    当時としてはチャートの一位に立ち、年間を通してもっともよく売れたレコードみたいだ。

                    デヴュー以来、しばらく泣かず飛ばずだった彼が
                    ものすごい人気者になり、音楽的評価もうなぎ登りとなる契機となった作品。
                    。ちなみに初めて商業用CDとして製品化された作品であるらしい。


                    今聴いてもまったく古びたところのない、素晴らしいビリージョエルの若さと
                    才気がこの作品で爆発していると思う。

                    ニューヨーク52番街というタイトルからして、かなりジャズに傾倒している作品で、
                    多くのジャズマンが参加している。

                    ブレッカー兄弟や、フレディーハバードなど、そうそうたるミュージシャンが集まって
                    いる。

                    でも単にニューヨークの雰囲気で、ちょっとジャズ寄りの作品にしてみましたという、
                    よくありがちな企画アルバムではない。


                    ミュージシャンこそ多くのジャズマンがいるけれど、内容はジャズはもちろん

                    ビリーの従来のロック的要素もあり、また彼の重要なルーツでもあるのだろう
                    ビートルズ的な要素もあり、

                    そして今回僕には新しい発見だったのだが、
                    アレンジとしてもピアニストとしてもかなり、ニューオーリンズ的要素が強いという事だった。

                    結果として、これだけ違った音楽の印象を、一つの作品にまとめ上げるビリージョエル
                    の手腕は、今更ながらとても素晴らしいと思う。



                    しかし、このジャケット写真はとても好きで(絵はジャケット写真を素に描きました)
                    ジャズの影響が強いからと言って、わざわざトランペットまで手にしてみて、

                    撮影もニューヨークの裏通りのようで、今となっては懐かしい
                    汚れたトレトンのスニーカーを履いてたたずんでいる。


                    当時のニューヨークはきっと今より治安が良くなかっただろうが、

                    アルバム全編で歌わてているのも、孤独なニューヨーカーばかりだし。



                    きっと自分自身も含めてニューヨークに生きる人間を、ビリーは描きたかったに違いない。











                     
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                    スタイルカウンシルが好きだった。

                    0
                      1980年代の英国のポップバンドにTHE STYLE COUNCIL
                      というグループがあった。

                      あのポール ウェラーが率いていたグループだ。

                      あの当時で言うと、お洒落なポップバンドということになるだろう。

                      でも、ここまで書いてみてふと思ったのだけれども、

                      お洒落って何処へ行ったのでしょう?


                      あの80年代、東京から地方までDCブランドが溢れて、
                      英国風のトラッドがトレンドになり、POPなカルチャーが花開いていた
                      あの時代。

                      みんな競うように服を買い求めていたような気がする。


                      その当時はまだ、おしゃれという感覚が生きていて、おしゃれを
                      するために洋服を着ているという感覚がむしろ普通だったような気がする。


                      そんな時代にポール ウェラー氏が率いるTHE STYLE COUNCILは
                      まず音楽的にとてもお洒落だった。

                      それからもちろんビジュアル的にも、彼らはかっこよく見えたものだ。

                      彼らの事をまったく知らないとうい方は、彼らの代表曲のビデオを見てその雰囲気
                      を感じてほしい。






                      私はモッズではなかったけれども、
                      ベスパを買って乗ってみたり、アメリカ東海岸の革靴を買い求めたりして、
                      そのお洒落さというものに、私自身近づいてみたかったのだが、

                      結局のところ、自分にはそこまでの身だしなみへのきめ細かさが、圧倒的
                      に不足しているという事に気がついてしまったのだ。



                      しかし音楽的なお洒落さとういうものは、30年近くたっても未だに
                      彼らの音楽からは感じられる。

                      ミック タルボット氏の素晴らしいオルガンや、D.C.リーのボイス
                      ポール ウェラー氏の気迫あふれる歌や、政治的なアティチュード、

                      そしてジャズに根ざしたスティーブ ホワイト氏の本当に素晴らしいドラミング。

                      音楽的には浮き沈みがあったし、演奏の質も必ずしもいつも高いわけでは
                      なかったけれども。





                      1950年代後半からロンドンで起こっていたムーブメント
                      〜アメリカから入ってくるジャズやR&Bに酔いしれる〜怒れる若者たち

                      を1980年代において彼らは正しく継承していたと思う。

                       
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