ちょっと変わってる

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    私がまだ20代の前半ぐらいの頃、 まだソウルミュージックが自分にとって一番だったころ 何かのリハーサルに参加していたのだが、 それはあるソウル系のバンドのリハーサルだった。
    私はまだギターも、ボーカルもほとんどまともに 出来なかったので、 確かタンバリンを手にしていたように思う。20代前半だった私はまだまだ発展途上だったのだ。

    私は正規メンバーではなかったけれども、そのリハーサルに参加したいという欲望は替えられなかった。

    その友だちのキーボードプレイヤーが ちょっと間違ったフレーズを弾いたとき、 バンマスだった年長のボーカリストが言った、 なんだ?それはハービー・ハンコックか?…

    私は、その頃ハービー・ハンコックの名前くらいは知っていたが、どんな演奏をするのかは ほとんど知らなかったので
    その時は周りに合わせて、ハハハと、ただ苦笑い するしかなかった。


    その後数年後に、猛烈にジャズを聴くようになり、ビパップから入った私は、

    最初のうちハービーの良さは分からす、難しかったが
    だんだんと理解できるようなり、やがて大好きな尊敬するピアニストになった。
    件のバンマスも、その頃の私と同じように、ハンコックのピアノをきちんと捉えることが出来ず、
    ただちょっと変わった難解なプレイヤーという印象から抜けきれなかったのだろう。

    でもその気持ちは分かるし、私もあのままR&B的な文脈に留まっていたら、やはり理解できないままだったろうと思う。
    でもそのちょっと変というか、ちょっと違ったという所から、 じゃあ何が人と違うのかとか、いろいろ考えだすあたりから

    理解という物がはじまると思えば これほど面白いものはないと思う。

    "ボーン インザ USA"の夏

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      私の父(2013年に死去した)はかつては国営だった電話会社に
      30年ほど勤めていた。

      父が40代半ばのころ、その会社は民営化して、一私企業となった。

      その頃の会社といえば転勤が多くて、しょっちゅう引越しばかりさせられていたものだった


      、私など小学校が何度も変わったか、今思い出してみても4回は変わっているのではないか。

      全く、このことは私の人生観にかなり大きな影響を与えているだろう。

      1984年、私たち家族は宮崎県内の北部の小さな街にいた。


      音楽の世界ではMTVが登場して、ティーンエイジャーの私をとても強く刺激した。





      小学校の高学年で音楽に興味を持ち出して、オフコースの切ないメロディーに
      琴線をくすぐられていた少年の心は、
      ブラウン管からダイレクトのあふれてくるもっとスケールの大きな海外の音楽
      に心を奪われて来ていたのだった。

      マイケル ジャクソン、プリンス、マドンナ、ホール&オーツ.....ETC
      私は毎日のように必死にFMラジオを聴き、

      週に一度くらいのミュージックビデオを拝見できる洋楽の番組を決して見逃さないようにチェックしていた。

      まだユーチューブもアイチューンもない時代では、
      海外の音楽を積極的に聴くにはそのように噛り付くようにラジオを聴くか、
      お金を出してレコードを購入する(レンタルもあった)するしかなかったのだ。

      そんなある日、父の会社の休憩室、というか食堂にちょっとしたレコードコレクション
      を見つけた。

      私をはじめ社宅の小学6年生の子供達は、その休憩室で父の同僚から初級の英語を
      朝から教わったりしていたので、比較的自由にそこに出入りすることができた。

      大きなテレビもあったそこには、レコードプレイヤーとカセットテープレコーダーも
      あった。そしてちょっとしたレコードコレクションも...

      そのコレクションのなかに、私はブルース スプリングスティーンのアルバム
      "ボーン インザ USA”を見つけた。

      あの、星条旗とブルージーンズのジャケットだ。

      ほかのレコードは、もちろん松田聖子とかチェッカーズもあったし、他の洋楽の
      レコードはマイケルもきっとあっただろう。

      きっと社内のOL達が
      会社の経費でそれらのレコードを購入して、みんなでカセットテープにダビングしていたのだろう。


      そのようにして、私は"ボーン インザ USA”の全曲が入ったカセットテープを
      手にすることが出来たのだった。

      終わり

      ブルーズのある風景

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        最近、ブルーズをよく聞くようになりました。
        まあ、もともとローリングストーンズが十代のころから好きだったし、

        それからやがてBBキングや、ロバートジョンソンをはじめとする偉大なブルーズの
        偉人達にしばらく夢中になっていた時期がありました。

        それから20代に入るとやがてジャズが大好きになり、
        その延長線上でやがてブラジル音楽に夢中になり、

        これまで自分で日本語ボサノバのCDを制作
        してきましたし、きっとこれからも演奏しつづける事だろうと思います。

        ブラジル音楽のもつ高次元的ないハーモニーの要素と、すばらしいリズム感覚は
        いまでも私にとっては大きな憧れであるし、これからも追求していきたいと
        思います。


        そうした時期、しばらくブルーズから遠ざかっていた時期でもありました。


        ロバートジョンソンをはじめとする
        カントリーブルーズが、総ての音楽表現に勝ると考え、
        かなり真剣にカントリーブルーズの奏法を(自分なりに)
        学んでいた20代前半のころ、よく福岡市の箱崎にあった旧九州大の練習スタジオで
        夜通しでギターを抱えて歌っていたものだった。


        その経験は、ギターを弾いて物語のように歌を歌うという基本の力を
        私のなかに根付かせてくれました。


        そうして取り組んだ(カントリー)ブルーズでしたが、
        やがて自分の表現力にも、(カントリー)ブルーズという音楽表現自体にも
        限界のようなものを感じ、

        もっとたくさんの音を自由に扱えるジャズ的な方向に、20代後半は
        興味が向かったのでした。
        まあ今から考えれば自然な流れだったかもしれません。


        それがここにきて私が40代になった頃からか、

        同じブルーズと言ってもカントリーブルーズとは違う、
        戦後に隆盛したマディ ウオーターズらによる初期エレキトリックブルーズである
        ”シカゴブルーズ”が(以前はそれほど熱中しなかった)
        俄然頭の中に入ってくるようになったのです。


        マイルズの自伝を読んでいると、興味深いこのような記述があります。

        ”シカゴにいる限りマディ ウオーターズのライブを聴きに行っていた。
        あのコードが3つしかない(2種類しかないだったか?)音楽をだ。

        いまやっている事が複雑なものになってきていて、いつかは戻らなければ
        ならないと考えていたからだ。”

        私自身この流れがどこに行き着つくのかはわかりませんが、旅を続けていきたいと
        思います。










        Jimi Hendrixの4枚目のスタジオアルバム

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          季節はいよいよ春ですが、それとは関係なく最近はまっています。そうジミ ヘンドリックスの音楽です。
          生前ジミは、公式にはスタジオ録音を3枚とライブ録音を一枚発表したのち、
          4枚目となるスタジオアルバムを制作中の1970年に亡くなってしまいました。

          その後たくさんの未発見録音やライブ録音が発掘されて、やがては生前出たものの倍以上のアルバムが市場に出回りました。
          やがて遺族が音源を管理するようになり、1997年に、彼が亡くなるまで4枚目のスタジオアルバムとして構想していた作品が、当時からジミと一緒に仕事していた有名なスタジオエンジニアのエディ クレマーらの手により編集されて世に出ました。

          First Rays of the New Rising Sun

          という作品がそれです。タイトルも彼の生前のメモから来ているようです。
           
          本来はこうした未発見物は、アーティストの意向とは言えない部分があり、
          少し眉に唾つけて鑑賞しなければと私は思いますが、アーティストが多作家で音源をたくさん残していれば、マイケル ジャクソンなどと同様に
          かなりのセールスが見込めることから
          、たくさんリリースされる事になり、おそらく誰にも止める事はできないでしょう。
          私がジミの音楽にハマりだしたのは、高校生の頃ぐらいからだったと思います。
          大学生の頃は、先輩のギタリストの中にひとり、トリオでジミの曲を半分はギャグ的に
          真似をして演奏する方がいて、
          当時の私にはとても無理でしたが、

          やろうと思えばやれるんだなと思って、自分なりに彼の演奏を通してジミに親しみ、

          またギタートリオでの演奏の仕方なんかを学ばせていただいたように思います。
          まだ20代の頃は、ジミの音楽にハマりつつも、どこか難解な気もしてもうひとつ
          理解できない面も感じていましたが、時を経るにつれ、

          彼の途方もないインプロビゼーションや、作曲の見事さに、あらためて素晴らしさを感じています。
          前出のアルバムですが、First Rays of the New Rising Sunこれを聴いてみて、
          依然私が聴いていたテープに聞き覚えのある曲がたくさんありましたので、

          調べてみると70年にジミが亡くなったあと数ヶ月後に出された Cry of Love という作品に
          すでに多く納められていたものだと分かりました。
          いつの間にかそのテープは無くなっていて、
          今回何十年ぶりに聴き返した事になる訳ですが、録音もマスタリングも素晴らしくて音が良いので、
          ジミのギタープレイや作曲にに改めて焦点が当てられていて、
          聴く価値が大いにあると思います。

          ひさびさにいっしょ

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            先日、テナーサックス奏者の清水賢二さんと横浜の”しえりる”
            で演奏してきました。

            1年以上ぶりの共演だったと 思います。

            (近藤コンディさまの写真から拝借させて頂きました)

            清水さんとは、かれこれ10年以上前、

            私が福岡で演奏を始めた頃から、ジャズのセッションでご一緒したり、
            私のリーダーライブでボサノヴァの伴奏をやって頂いたり、

            いつも共演がとても楽しみな、素晴らしいミュージシャンです。

            私のファーストアルバム”あおさぎ”でも参加して頂き、
            私にとって大切な、フェイバリットな共演の記録として残されています。


            今回は、もともとデュオでの演奏の予定だったのですが、

            遊びに来ていただいた素晴らしいミュージシャン達との
            共演となりました。

            ドラムのなりしげ ひろしさんと、横浜のベーシスト、コンディさんです。
            素晴らしい共演者に囲まれて久しぶりにドキドキ!興奮しました。

            あらためてアコースティックジャズの可能性に気づかされました。

            またぜひやりたいです。


            さて、今回は清水さんの新しいアルバムを紹介させてください。

            もう何枚目になるのでしょう、5枚以上はあるはず。
            音を通して自分を表現しつづける〜表現者としてとても意欲的な姿勢に
            あたまが下がります。

            タイトルは”ジャパニーズスタンダーズ”



            とても面白い企画で、曲はなんとすべて、日本のテレビを通してお茶の間に広まり

            昭和、平成を通して我々の身体にしみこんだあまりに有名すぎる
            ポピュラー曲ばかりです。

            一曲目から、水戸黄門のテーマです(^^; そうあの”じーんせい楽ありゃ♪
            です。これがジャズになってます。すごいですね!

            笑っていいとも!のテーマもあります。およげたいやきくんも..


            あたらしいところでは、AKBや、宇多田ヒカルさんの曲もあります。

            渋いとか、玄人ごのみの仕事ではありません。
            しかし、清水さんはこれらのポピュラーソングたちを
            あくまでジャズとして曲を扱い、すこしひねりを加えて料理して、ちょっとの
            ユーモアを持って、長年慣れ親しんだ仲間たちと演奏しています。

            決して奇をてらっている訳ではないようです。

            原曲からずいぶん離れてるなあ とか、これがあの曲なのか
            そういうことでもなく、
            誰が聴いてもすぐにあの曲だと判るようになっています。

            しかしジャズにしか聴こえないという、まあ絶妙の距離感とでもいいましょうか?
            ぜひ皆さんに聴いて頂きたいです。

            こんな風に何気なく、さらりと表現してみたいものです。


            ご自身がパイロット版をアップしていたので、リンクしておきます。
            Amazonでも買えるようなので、ぜひ買ってきいてみてください。
            https://www.youtube.com/watch?v=7DKCmjG25aI








































             
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            ビリージョエルの孤独

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              BILLY JOEL”52nd STREET"

              1978年のビリージョエルによる傑作アルバム。

              このところ このアルバムをアナログでとてもよく聴いている。


              当時としてはチャートの一位に立ち、年間を通してもっともよく売れたレコードみたいだ。

              デヴュー以来、しばらく泣かず飛ばずだった彼が
              ものすごい人気者になり、音楽的評価もうなぎ登りとなる契機となった作品。
              。ちなみに初めて商業用CDとして製品化された作品であるらしい。


              今聴いてもまったく古びたところのない、素晴らしいビリージョエルの若さと
              才気がこの作品で爆発していると思う。

              ニューヨーク52番街というタイトルからして、かなりジャズに傾倒している作品で、
              多くのジャズマンが参加している。

              ブレッカー兄弟や、フレディーハバードなど、そうそうたるミュージシャンが集まって
              いる。

              でも単にニューヨークの雰囲気で、ちょっとジャズ寄りの作品にしてみましたという、
              よくありがちな企画アルバムではない。


              ミュージシャンこそ多くのジャズマンがいるけれど、内容はジャズはもちろん

              ビリーの従来のロック的要素もあり、また彼の重要なルーツでもあるのだろう
              ビートルズ的な要素もあり、

              そして今回僕には新しい発見だったのだが、
              アレンジとしてもピアニストとしてもかなり、ニューオーリンズ的要素が強いという事だった。

              結果として、これだけ違った音楽の印象を、一つの作品にまとめ上げるビリージョエル
              の手腕は、今更ながらとても素晴らしいと思う。



              しかし、このジャケット写真はとても好きで(絵はジャケット写真を素に描きました)
              ジャズの影響が強いからと言って、わざわざトランペットまで手にしてみて、

              撮影もニューヨークの裏通りのようで、今となっては懐かしい
              汚れたトレトンのスニーカーを履いてたたずんでいる。


              当時のニューヨークはきっと今より治安が良くなかっただろうが、

              アルバム全編で歌わてているのも、孤独なニューヨーカーばかりだし。



              きっと自分自身も含めてニューヨークに生きる人間を、ビリーは描きたかったに違いない。











               
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              スタイルカウンシルが好きだった。

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                1980年代の英国のポップバンドにTHE STYLE COUNCIL
                というグループがあった。

                あのポール ウェラーが率いていたグループだ。

                あの当時で言うと、お洒落なポップバンドということになるだろう。

                でも、ここまで書いてみてふと思ったのだけれども、

                お洒落って何処へ行ったのでしょう?


                あの80年代、東京から地方までDCブランドが溢れて、
                英国風のトラッドがトレンドになり、POPなカルチャーが花開いていた
                あの時代。

                みんな競うように服を買い求めていたような気がする。


                その当時はまだ、おしゃれという感覚が生きていて、おしゃれを
                するために洋服を着ているという感覚がむしろ普通だったような気がする。


                そんな時代にポール ウェラー氏が率いるTHE STYLE COUNCILは
                まず音楽的にとてもお洒落だった。

                それからもちろんビジュアル的にも、彼らはかっこよく見えたものだ。

                彼らの事をまったく知らないとうい方は、彼らの代表曲のビデオを見てその雰囲気
                を感じてほしい。






                私はモッズではなかったけれども、
                ベスパを買って乗ってみたり、アメリカ東海岸の革靴を買い求めたりして、
                そのお洒落さというものに、私自身近づいてみたかったのだが、

                結局のところ、自分にはそこまでの身だしなみへのきめ細かさが、圧倒的
                に不足しているという事に気がついてしまったのだ。



                しかし音楽的なお洒落さとういうものは、30年近くたっても未だに
                彼らの音楽からは感じられる。

                ミック タルボット氏の素晴らしいオルガンや、D.C.リーのボイス
                ポール ウェラー氏の気迫あふれる歌や、政治的なアティチュード、

                そしてジャズに根ざしたスティーブ ホワイト氏の本当に素晴らしいドラミング。

                音楽的には浮き沈みがあったし、演奏の質も必ずしもいつも高いわけでは
                なかったけれども。





                1950年代後半からロンドンで起こっていたムーブメント
                〜アメリカから入ってくるジャズやR&Bに酔いしれる〜怒れる若者たち

                を1980年代において彼らは正しく継承していたと思う。

                 
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                音楽のメッセージ

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                  音楽で何が大切かといえば、
                  私はメッセージこそいちばん大切だと思っています。

                  音楽においてメッセージといえば、例えばジョン レノンのイマジンをあなたは思い浮かべるかもしれません。

                  イマジンもほんとうに素晴らしいメッセージソングだと思います。

                  でもここでは、例えばジャズピアニストのバド パウエルについて語りたいと思います。

                  バド パウエルはピアニストであり、歌を歌うわけではありませんが、
                  それでもそのピアノから強烈なメッセージ性を感じる事ができます。





                  例えば I want to be happy
                  "幸せになりたい'
                  というありふれたミュージカルソングを、トリオで演奏したものを聴いてみて下さい。


                  バドはこの曲を通常よりもアップテンポに設定して、
                  バリバリと、そして美しくピアノを弾いています。
                  https://www.youtube.com/watch?v=YazwfVBaCjY

                  まるで自分の運命に立ち向かい、そして打ち勝とうとするかのような、
                  こうやって幸せになってやるんだ、という崇高で強烈なメッセージがあります。

                  それはもうメッセージであると同時に"生きざま"でもあります。

                  そのような'生きざま"を私たちは眼にして、自らの世界観もやがて変わってしまうのかもしれません。

                  どんなジャンルであっても、優れた演奏家の持つメッセージ性を、
                  私たちはいつも掴みとらねばならないと思います。
                   
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                  "ビックス" バイダーベックについて

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                    "Bix" Beiderbecke
                    "ビックス" バイダーベック

                    1920年代アメリカのデキシーランドジャズを演奏した
                    伝説的なコルネット奏者。

                    私のような、1970年代生まれで、モダンジャズも、コンテンポラリーなジャズも、ブラジル

                    音楽も聴いている人間が、

                    なぜ、100年ちかくも古い音楽を、
                    21世紀のこの東京で聴く必要があるのか?



                    ぼくはこのところよく、1920年代の彼の音楽を
                    、デジタルのダウンロードによって、ヘッドフォン聴いているけど、

                    彼の何か不思議な、おもねりのない、強くて美しいコルネットの響きを聴いていると、

                    そこにはもう、デキシーランドスタイルスという枠もなく、

                    そしてレコードであるとか、
                    ダウンロードであるとかの区別も越えて、


                    我々はただそこにある音に耳を澄ませるだけ、という感じがしてくる。

                    ビックスのコルネットには、
                    デキシーランドジャズという、ひとつのスタイルの中にありながら、そこを超越した存在感

                    や響きがあるように想う。



                    それは例えば、あえて分かりやすく言うなら

                    我々が織田信長や坂本龍馬の肖像画をみて、
                    語り継がれてきた彼の存在の大きさ、人となりや、彼の偉業というものを  

                    彼の目の中や姿のなかに感じて、想像を膨らませますよね?

                    彼が現代にいたらきっとこんな感じだろうな、という風に…
                    そこではもう、彼の着ている服や時代背景などはもう超越してしまいます。

                    それができるのは、彼らが結果として偉業を成し遂げたゆえだからであります。

                    それは当たり前の話ですが…


                    そんな時我々は、そんなヒーロー達を想像のうえで、今そこにいる人間として
                    対等に比較して捉えようするのではないでしょうか?

                    ほんとうに素晴らしい音楽は、きっとそれと同じで、

                    とっくに時代遅れになっている
                    "スタイル"というものを持ちながら、同時に内側から越えていきます。

                    彼の演奏スタイルそのものの中に、その枠を超えて飛んで行こうとする何かがきっとあるの

                    でしょうね。

                     
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                    september song

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                      5月から12月まではなんて長いのだろう…

                      スタンダードブックをめぐっていたら、この曲に久しぶりに出会いました。早いものでもう
                      September(9月)ですね

                      "September Song"

                      作曲はクルトワイル、Kurt Weill
                      作詞はマクスウェル アンダーソン
                      Maxwell Anderson

                      やっぱりサラ ボーンとクリフォード ブラウンの演奏が好きです。

                      Oh, it's a long, long time from May to December
                      But the days grow short when you reach September

                      When the autumn weather turns the leaves to flame
                      One hasn't got time for the waiting game

                      Oh, the days dwindle down to a precious few
                      September, November and these few precious days
                      I'll spend with you these precious days I'll spend with you

                      甲斐の意訳

                      ああ、5月から12月まではなんて長いのだろう…
                      こうして、やっと来た気がするものさ、

                      そして、9月になると日がすっかり短くなってきて、

                      秋風が木々の葉を色づかせるようになると、
                      もう無為に過ごしている時間なんてないんだよ、

                      9月。11月と貴重な日々はもう僅か…
                      君と過ごすんだ、このかけがえない日々を、君と二人でね…

                      素敵な歌です。


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