ブログ更新しました。"渡辺貞夫さんとお会いしたときのこと その1"

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     私は約15年ほど前、福岡の老舗ジャズ喫茶店、コンボに勤めていた。
    その頃の私の年齢でいうと20代の後半ぐらいの頃だ。

    ある日ひょっこりと、コンボにあの世界的なサックス奏者の渡辺貞夫さん
    が遊びに来てくれたことがあった。

    あのころはすでに、コンボのマスターであり九州のジャズのマスターでもあった
    有田平八郎氏も、1999年の12月に亡くなっていた。

    マスターと渡辺貞夫さんはもちろん旧知の仲であり、マスターの生前からコンサート
    の招聘などで長い付き合いがあった。ふたりが一緒に博多の祭り"山笠"の衣装を着て
    写真に収まっているのが、ニューコンボの壁がけにしてあったのを、よく。覚えている。

    わたしがコンボのカウンターに立っていた時に、渡辺貞夫さんが訪ねてこられたときは、
    もう有田マスターは墓の中だった。

    たしかそれは秋口の事だったと思う。だれもいない店にひとり、私はちょうどその頃から
    かなり影響を受け始めていたバーデンパウエルのレコードに耳を傾けていた。

    ジャズの店とは言っても、コンボはジャズの形式をもったあらゆるレコードが貯蔵されて
    いて、私はむしろそこで、ボサノヴァなどのブラジル音楽の魅力に開眼したと
    言ってもいいくらいだ。

    とにかくバーデンパウエルのレコード"TRISTEZA ON GUITAR"だったと思う。
    このレコードがかかっていた時にコンボのドアが開いた。

    ちょっと背の高い男性が首の方から覗き込むように、店内に入って来た。あの人を惹きつけて
    放さないような素敵な笑顔を見せながら.....

    入ってきた男性に対してぼくが言えることはひとつしかなかった「貞夫さんですね...
    いらっしゃいませ..」

    そのとき貞夫さんが、福岡の(当時はまだあった)"ブルーノート"に出演していることは
    知っていたが、マスターが亡くなってもまだコンボに姿を見せてくれようとは思ってみなかった。

    貞夫さんは壁架けにしてあったバーデンのレコードに耳を傾けながら、「懐かしいね..」と言った。
    バーデンパウエルも折りしもその年2000年9月にこの世を去っていた。

    貞夫さんは他にお客のいない店内で、有田平八郎マスターに写真に見入り、お悔やみの言葉を述べてくれた。つづく


    "TRISTEZA ON GUITAR"バーデンパウエルの傑作のひとつ、私がこのレコードを聴いて度肝を抜かれたのは言うまでもない。ブラジルのあらゆる風景が音楽を通して描写されている。映画「黒いオルフェ」と同じでいつまでも記憶される音楽。1960年代中盤の作




    渡辺貞夫"IN TEMPO" 貞夫さんの数あるブラジル音楽もののひとつ。セザール C マリアーノのピアノとともにゆったり落ち着いた貞夫さんのアルトがやはりすばらしい。
    レイラ・ピニェイロ(vo)もグッド。1994作


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